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貧困地区から南ア主将に。「アフリカンドリーム」をつかんだシヤ・コリシ

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貧困地区から南ア主将に。「アフリカンドリーム」をつかんだシヤ・コリシ

貧困地区からラグビーで脱出

黒人として初めてラグビー南アフリカ代表のキャプテンとなった、シヤ・コリシ選手。

『コリシの言葉』によると、少年時代は貧しい暮らしをしていたそうです。

「父親に定職はなく、コリシが幼い時に出稼ぎに出た。16か17歳の若さだった母親は彼を一人で育てられず、育ててくれたのは祖母だった。祖母との暮らしは決して楽なものではなかった。時には2人分の食料を買う余裕もなく、おなかがすいたまま眠った。自宅はすきま風が入り込み、冬にあたる7月頃は寒さがこたえた。

雨漏りも日常だった。近所から食事を分け与えてもらうと、祖母は自分では食べず、幼いコリシにくれた。21世紀になろうとしていたこの時期、電気代が払えず、学校の宿題は街灯の下でこなしていた」

『コリシの言葉』P144より

コリシが生まれたのは、ズウィデというアパルトヘイト時代に黒人専用の居住区に指定されたエリア。著者の石原孝氏は、直接この街を訪れ、南アフリカ代表が優勝したワールドカップ2019を観戦したそうです。「トタン屋根とれんがで造られた民家が軒を並べ、外にはポリ袋が至るところに散乱していた。お世辞にもきれいな街並みとは言えなかった」と記述しています。

▲ズウィデの病院 写真:クリエイティブ・コモンズ

日本からすればスラム街と呼べるようなエリアから、コリシを救ったのはラグビーでした。この地域に「アフリカンボンバーズ」と呼ばれるラグビーチームがあり、コリシは小学生のときから所属していました。ここでの活躍が目に止まり…

「転機になったのは彼が12歳の時。各地のチームが集まった試合で、スカウトの目に止まった。裕福な白人の子どもたちが多く通う地元の『グレイスクール』が、将来性のある選手として、コリシら複数の子どもに奨学金の提供を決めたのだ。学費も寮費も食事代も心配せずに、ラグビーの練習に集中できる環境を与えられることになった」

『コリシの言葉』P145より

そこからコリシはラグビー界で日の当たる道をすすみ、スーパーラグビー、南アフリカ代表として活躍していきます。

コリシが示した「アフリカンドリーム」

アパルトヘイトが撤廃されても、南アフリカには未だに黒人と白人の間に大きな格差があると言います。しかし、そんな状況にあってもラグビーによって、のしあがることができる。「アフリカンドリーム」をコリシ選手が示したのではないでしょうか。

後を追って多くの身体能力に優れた黒人少年がラクビーを始めるかもしれません。言うまでもなく黒人の身体能力はすさまじいものがあります。現在世界ランキング1位の南アフリカのラグビーはさらに強さを増していくのではないでしょうか。

ニュージーランドなどは、意外にも若年層に”ラグビー離れ”が起きているらしいですから、今後は力関係が完全に逆転し、南アフリカが黄金時代を迎えるのか?という妄想もしてしまいました。

コリシ選手が日本でプレーする可能性も?

さて、『コリシの言葉』の終盤には本人への直撃インタビューも収録されていて、日本でプレーする可能性にも言及がありました。

「そのうち分かるでしょう。まだ所属クラブでも契約が残っていますから。でも、過去には、もう少しで日本行きが決まりそうだったこともあったんです。南アフリカでの活動が一段落すれば、数年は日本(のチーム)でプレーできるでしょう」

『コリシの言葉』P175より

これは楽しみですね。南アフリカ代表の黒人選手としては、今季のトップリーグ注目選手の一人であるマカゾレ・マピンピ選手もNTTドコモで活躍しています。二人が同じチームでコンビを組む、なんてこともあるかもしれません。

南アフリカラグビーをもっと知りたい方には、映画『インビクタス』もオススメです。

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