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W杯招致、東京五輪も。森喜朗氏が日本ラグビーに残した功績を再評価

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W杯招致、東京五輪も。森喜朗氏が日本ラグビーに残した功績を再評価

女性蔑視発言で炎上、東京オリンピック組織委員長を辞任することになってしまった森喜朗氏。

何かと批判にさらされやすい人物ですが、日本のラグビー界に残した功績は計り知れません。森氏は日本ラグビーフットボール協会名誉会長として”名誉”を与えられています。あらためてその功績をまとめてみたいと思います。

森喜朗氏は早大ラグビー部出身だった

実は森氏自身、学生時代はラガーマンでした。現在は痩せられていますが、もともと体重100キロを超える、ラガーマン体型でした。

高校は石川県立金沢二水高校時代。ここでラグビー部に所属し、キャプテンをつとめました。また北陸3県大会で決勝に進出するなどの実績を残しました。

大学は名門早稲田大学。ここでも森氏は体育会ラグビー部の門を叩きます。しかし、全国レベルの選手が集まる早稲田ラグビーの練習についていけず、入学後わずか4ヶ月で退部してしまいます。

ラガーマンとしてのキャリアはそこで終わりですが、早稲田大学監督の大西鐡之祐氏より「将来、ラグビーに恩返しができるような立派な人間になってみろ」という言葉を投げかけられたそうです。その言葉が原点となって森氏はラグビー界に「奉公したい」という思いを抱くようになったのです。

ワールドカップを日本に持ってきた功績

時は流れて2000年。森喜朗氏は政治家として大成功をおさめ、首相を経験しました。そして首相を退いてから、ラグビー界への「奉公」が始まります。

2005年から日本ラグビーフットボール協会の会長に就任。同時に森氏はワールドカップの開催招致に乗り出していきます。

ラグビーワールドカップは1987年に第1回大会が開催されてから、ヨーロッパ・南半球のラグビー強豪国での開催が続いていました。そこに当時アジアの弱小国だった日本が切り込んだのです。

まず、2011年の第7回ワールドカップの開催国として立候補。しかし、この時はニュージーランドに決定。しかしそこでめげません。2015年の第8回、2019年の第9回ワールドカップの開催国としてふたたび手をあげます。

そして、2009年、2019年の第9回ワールドカップの開催国として見事に日本が選ばれました。森氏は招致委員会の委員長として先頭に立って交渉をすすめました。首相を経験した森氏の政治力がここでいかされました。

それから10年後。日本中がワールドカップ日本大会に熱狂しました。これまでラグビーに見向きもしなかった人ですらも、その虜になりました。多くの人がTVでスタジアムで試合を観戦し、大会は大成功に終わりました。その影に森氏の圧倒的な努力があったことを忘れないようにしたいと思います。

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