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ラグビー日本代表HCジェイミー・ジョセフの履歴書。現役時代、指導歴まとめ

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ラグビー日本代表HCジェイミー・ジョセフの履歴書。現役時代、指導歴まとめ

2019年のラグビーワールドカップ日本大会で、日本代表を史上初のベスト8に導いた、ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフ氏。

前ヘッドコーチのエディー・ジョーンズに比べてメディア嫌いとも言われる氏。あまり露出もなく、どんな人物なのかよく知らない方もいると思います。そこであらためて、ジェイミー・ジョセフの現役時代、これまでの指導歴をまとめてみました。

マオリにルーツ

ジェイミー・ジョセフは、1969年ニュージランド南東のブレナムに生まれました。父親もラグビー選手で、ニュージランドマオリ代表にも選ばれたことがあるそう。顔つきからもわかりますが、マオリの血を引いているんですね。

チャーチカレッジを経て、オタゴ大学に進学。大学では心理学を専攻し学士を得るなど、勉強もしっかりこなしていたようです。

オールブラックスになるまで

ジェイミー・ジョセフはオタゴ大学でラグビー選手としての頭角をあらわしました。最初はロックとして活躍していましたが、徐々にその卓越した運動能力が認められて、フランカーとしてプレーするように。

ロック、フランカー、ナンバー8と複数ポジションをマルチにこなしました。体格は196センチ、105キロという堂々たる体躯。

1991年からニュージランドマオリ代表に呼ばれ10試合をプレー。

そしてオタゴ州代表として国内選手権も制覇。そして1992年に念願のオールブラックスデビュー。1995年ワールドカップのメンバーにも名を連ねました。オーブラックスのキャップは20。ラグビー選手として素晴らしいキャリアです。

サニックス、日本代表時代

そして、ジェイミーは1995年のワールドカップ終了後、来日します。

選んだのは九州ラグビーの新興チーム、サニックス。ちなみに今回の日本代表のスタッフ陣に、強化副委員長として名を連ねる藤井雄一郎氏はサニックス時代のチームメートという間柄です。

そして、ジェイミー・ジョセフは日本代表として1999年のワールドカップにも出場。

当時は代表資格に関するルールが現在よりもゆるく、オールブラックスのキャップを持っていても、日本での一定の居住期間があれば、日本代表になることができました。

ちなみに1999年のワールドカップに出場した日本代表には、 グレアム・バショップ という元オールブラックス選手もいました。

豪華な布陣で望みましたが、結果は予選プール全敗。海外のメディアからは、「チェリーブラックス」と揶揄されてしまったのでした。ジェイミー・ジョセフの日本代表キャップは9。

指導者へ

そして2003年より指導者に転身しました。ウェリントン代表のアシスタントコーチ・ヘッドコーチ、マオリ・オールブラックスのヘッドコーチなどを歴任。

そして2011年よりスーパーラグビーのハイランダーズで指揮をとり、選手層が決して厚くない中で、組織的なディフェンスなどを落とし込み、強化。

2015年にはスーパーラグビー優勝の偉業を成し遂げます。当時のメンバーには日本代表スクラムハーフ田中史朗選手も名を連ねていました。

そして2016年からエディー・ジョーンズの後をついで、日本代表の指揮をとることになったのでした。

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